元広島・北別府学氏が死去 213勝の大投手 白血病克服も65歳で 球団は哀悼の意を表し、西武戦は喪章を着用

 北別府学さん
引退セレモニーで大野(左)から花束を贈られる北別府さん=1994年9月
高校野球広島大会決勝の始球式で投球する北別府さん=2018年7月
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 元広島投手の北別府学氏が死去したことが16日、分かった。65歳だった。

 1970年代後半からカープ黄金期を支えた大エースが力尽きた。広島史上最多の通算213勝の北別府氏は、20年1月20日、2年前に成人T細胞白血病と診断されていたことを公表。長期間の入院治療に入った。

 抗がん剤治療を繰り返し、息子がドナーとなって骨髄移植を行い、20年7月には退院できるまで回復。壮絶な闘病生活にも打ち勝ち、その後は自宅療養していた。

 22年春から人工透析を開始。22年6月中旬に高熱が出て、感染症により入院した。妻広美さんはブログで敗血症を患っていることを明かしたが、持ち前の精神力で病魔を克服した。

 しかし、23年の年明けに帯状疱疹による体調不良をきっかけに、容態が悪化。プロ野球が開幕しても意識が混濁する日々が続き、帰らぬ人となった。

 野球界に多大な功績を残した。プロ入りは75年で、都城農からドラフト1位で広島入り。ルーキーイヤーから2勝を挙げた。「精密機械」と呼ばれた制球力を武器に、3年目から11年連続で2桁勝利。不動のエースとして活躍した。

 79年には17勝を挙げ、リーグ制覇に貢献。82年には20勝し、最多勝と沢村賞を獲得した。通算213勝はプロ野球歴代19位。9度の開幕投手はセ・リーグ2位で開幕戦勝利数6はリーグトップ。12年には野球殿堂入りを果たした。

 94年に引退後、01年から04年まで広島で投手コーチ。ユニホームを脱いでからは解説者として球界を盛り上げた。カープ愛にあふれ、闘病を告白した際には「解説者としてカープの日本一を見届けるために必ずや復活します」と語っていた。

 カープ一筋、ファンからも愛されたレジェンドが天国へ旅立った。

 球団は「謹んで哀悼の意を表するとともに本日の西武戦は半旗を掲げて試合を行います。なお、カープの監督・コーチ・選手は喪章を着用いたします」とした。

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